大浦十一面腹帯観音堂
安産祈願
子宝・子授け祈願
ようこそ、母なる湖に抱かれた水と緑のいのちの里・西浅井町大浦へ...
安産 祈願 滋賀県 長浜市 西浅井町 十一面観音 腹帯観音 子宝 子授け
由 来
○十一面腹帯観音菩薩
平安初期、比叡山延暦寺の開祖として名高い伝教大師最澄が栢(かや)の木を一刀彫にして完成させたと伝わっている。
高さ約160cm。頭には小さいながらも表情豊かな十一の菩薩面があり立派な頭飾の赤色の玉は日光菩薩、白色の玉は月光菩薩をあらわしている。
肉付きのいい腰と少しふくらんだお腹が特徴。それらを包み込むように、さらしの腹帯が巻かれている。
かつてこの観音堂は、現在地からほど近い大浦八幡宮の奥の院・観音寺に安置されていた。しかし元亀元年(1570)姉川合戦時、寺院排除が行われた際、戦火を避けるため境内の蓮池に沈められる。以来八十八年間、当時の大浦八幡宮神職によって掘り出されるまでは池の底、泥の中で眠っていた。
その後は大浦八幡宮社内に安置され明治維新の動乱期を機に現在地に移動。裏山が崩れたため昭和6年(1931)に現在のお堂が建立され、今に至る。
池から泥まみれで掘り出された際多くのさらしで御体が清められたという。そしてその布は腹帯として妊婦に分けられ皆が五体満足で安産であったという。そのことが現在も続く腹帯頒布のきっかけとなった。
享保4年(1719)には観音像の木版が完成。お姿が刷られたさらしは写真のように一週間ほど観音堂の腹部に巻かれてご利益をいただき、安産を願う人々に広まった。
平成15年9月23日、観音像盗難。平成17年4月23日に無事お戻りになったが、その間1年半、お堂に残されていた紅白の腰紐と腹帯に、頒布のための腹帯を抱き合わせて、絶えず安産祈願は行われていた。そんな、腹帯観音の慈悲深さとたくましさに惹かれ、安産はもちろん、子宝を願って全国からお参りが絶えない。
腰周りが大変がっちりしていて、お腹が少しふくらんでおり観音様のお腹に巻いた帯を頂き、その帯を妊婦に巻くと御体満足に安産が出来るところから全国より腹帯の申し込みがある。